聞きたくない言葉もある
言ってくれるじゃないか、菊池風磨。
「僕はほぼほぼ体験談とその時思った気持ちを思い起こして書いてるだけなんで」
あの菊池風磨がやってくれました。
生放送ラジオで軽々と言ってのけた…
実体験でも経験談でもいい。
公言してほしくなかっただけ。
アイドルとして歌う風磨くんの歌詞に夢を見させてほしかった。
これじゃ風磨くんのソロを聴く度にその女性の影を見なければいけない。
私の"願い"は1ヶ月もたたないうちに玉砕してしまった。
(詳しくは下記ブログの"アイドルとしての菊池風磨"参照)
風磨担ってきっと多くの人がこういうリアルな男の部分も含めて好きなのであって、だけどそれを認めるのはまた違った一段階踏み込んだ覚悟が必要で……尊敬。
風磨くんを好きになって多分初めて突きつけられたこの類の現実にどう心の処理をしたらいいのか分からない。
でも…
実体験だろうが何だろうが菊池風磨が綴った歌詞に間違いなくて、彼の綴る言葉が好きだから、彼の歌声が好きだから、感情込めて表現してくれるのが好きだから、そこは自分の中でも変わらないから。
それが私の答えなのかな、きっと。
そして、それが私にとって本当の、揺るがない"アイドルとしての菊池風磨"。
惚れた弱み、辛い。
だけど、それに自分が耐えられなくなったら、自分を犠牲にしてまで彼のことを好きでいなくてもいい。
彼のことを好きだった事実に変わりはないからそれでいいの。
どんな事にもタイミングは付き物だから、
好きで好きでたまらない時に良い話を聞けばもっと好きになる。
少し冷めてきた時に良くない話を聞けばもっと冷めてしまう。
好きで好きでたまらない時に良くない話を聞いても動じないかもしれないし、冷めるかもしれない。
少し冷めてきた時に良い話を聞いても何とも思わないかもしれないし、また好きになるかもしれない。
自分の気持ちと出来事とのタイミングに無理に逆らわなくてもいいかな、と。
応援の仕方も、好きの形も、求めるものも誰にも介入されることではない。
だから、好きになったきっかけとか、何年好きだったとか、そういうことは私の重点ではなくて。
自分が気になった人についてたくさん知って好きになって応援する単純なループでいい。
自分の人生の中で"好き"と思った気持ちを大切にしたい。
現実世界で許されないのであれば、せめてキラキラした世界の中だけでもそうしていたい。
人を好きになったり大切に思うことができるのは、自分のことを好きになれている証だとも思うから。
最近そう思うようになりました。
素直になりつつある自分、嫌いじゃないです。
しかしクサいな!
アイドルのファンって大変だけど、こういう気持ちは彼らが教えてくれるから。
誰になんと言われようと確実な人生経験。
いろんな事考えているうちに、もやもやしていた気持ちも吹っ飛びました。
冒頭の言葉の前に、「僕はあれっすね、・・・」と一瞬の間があったので言ってもいいのか考えて、彼的に問題ないと判断したのでしょうし、あの発言すら計算かもしれないですしね。
たまにはボヤキもいいでしょう。